田中宿(読み)たなかじゆく

日本歴史地名大系 「田中宿」の解説

田中宿
たなかじゆく

[現在地名]東部町大字田中

北国脇往還の宿駅。千曲川沿い北側段丘上の田中村にある。上田宿まで二里半、小諸こもろ宿まで二里半。

宝永三年(一七〇六)田中町差出帳によると、宿の構成は西から田中を中心に五丁・常田ときだの町場からなり、宿両端の田中・常田には柵(枡形)がある。本陣は田中にあり「当町御本宿壱軒」で、門・風呂・塀などを備え、問屋も田中に一軒あり年給五〇〇文を与えられた。人馬継立ては「往来武士荷物大分参、当町ニて不足之節、不限何時、当町問屋方ヨリ組中ヘ申触、寄馬寄人足仕、間合申候」とあり、大名通行などで「人馬大分入候節者、御領内田中組・洗馬組・国分寺組・塩田組・浦の組・小泉組・塩尻組ヨリ寄馬被仰付候」と助郷の徴発範囲が指定されていた(馬場家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報