田中 保(読み)タナカ ヤスシ

20世紀日本人名事典 「田中 保」の解説

田中 保
タナカ ヤスシ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治19(1886)年5月13日

没年
昭和16(1941)年4月24日

出生地
埼玉県岩槻市

学歴〔年〕
埼玉県立第一中(現・浦和高校)卒

経歴
明治37年18歳で中学を卒業後、単身渡米。シアトル転々と職を変えて苦学しながらフォッココダマの画塾へ通い修業と研鑚ののち、“裸婦の田中”といわれるように裸体画の研究、制作に専念。大正6年詩人のルイーズ・ゲブハルト・カンと結婚。9年夫人とともにパリに移住、多くの画廊、各サロンへ出品を続け、昭和4年ソシエテ・ナシオナル・デ・ボザールの会員に推挙された。藤田嗣治とともに声価を高め、“肖像、裸婦、風景、花の画家…”として脚光を浴びたが、日本画壇とは無縁のまま日本には帰らなかった。昭和51年伊勢丹美術館において初めて日本で紹介された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報