玉懸村(読み)たまかけむら

日本歴史地名大系 「玉懸村」の解説

玉懸村
たまかけむら

[現在地名]南部町玉掛たまかけ

三戸村(現三戸町)北東馬淵まべち川左岸の河岸段丘に位置する。東南端を馬淵川が蛇行して東流する。東は川を隔てて八戸藩領高瀬たかせ(現名川町)、西は沖田面おきたおもて村、南は川を隔てて赤石あかいし村、北は五戸通手倉橋てぐらばし(現五戸町)に接する。雑書の慶安元年(一六四八)八月二二日条に「三戸梅内御留之下ヨリ相内境迄堀居くり役壱歩判壱両一歩、玉懸新鮭留御運上金三歩ニ遣ス」とある。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に玉掛村、高五七・八四三石とあり、七ヵ年平均の免は二ツ九分三厘七毛。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」では蔵分七・八石余、給分七七・二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報