玉作郷(読み)たまつくりごう

日本歴史地名大系 「玉作郷」の解説

玉作郷
たまつくりごう

和名抄」所載の郷。同書高山寺本など諸本とも訓を欠くが、駿河国駿河郡玉作郷の多万都久里の訓に従えば、タマツクリであろう。比定地は未詳であるが、現さかえ町の龍角寺りゆうかくじとその瓦を製作した同町五斗蒔ごとまき遺跡、埴生郡家跡と推定される同町大畑おおはたI遺跡から「玉作」と篦書された文字瓦が出土している。龍角寺の創建は七世紀後半とされており、この文字瓦は玉作里の里名を記したもので、龍角寺の造営に当地からも瓦が納められたと想定できる。

玉作郷
たまつくりごう

「和名抄」高山寺本・名博本にみえる郷名。東急本は「玉造郷」につくる。東急本に「多万都久里」の訓がある。天平宝字四年(七六〇)一〇月の平城宮跡出土木簡(「平城宮木簡概報」四―一九頁)に「駿河郡玉作郷×」とみえる。比定地については、(一)伊豆国田方たがた郡の式内社玉作水神社に比定される玉造神社の所在することから、現沼津市上香貫かみかぬき・下香貫・御幸みゆき町などとする説(大日本地名辞書)、(ニ)(一)の説に現清水町徳倉とくら柿田かきだ長沢ながさわ付近を加えた説(沼津市誌)などがある。

玉作郷
たまつくりごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本など諸本とも訓を欠くが、駿河国駿河郡玉作郷の多万都久里の訓に従えば、タマツクリであろう。中世玉造たまつくり庄とみえ、江戸時代には南玉造村(現多古町)として郷名が継承されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報