牟礼町(読み)むれちよう

日本歴史地名大系 「牟礼町」の解説

牟礼町
むれちよう

面積:一六・五五平方キロ

木田郡の北部に位置し、西は高松市、東は大川郡志度しど町、北は庵治あじ町、南は三木みき町に接する。庵治半島の基部、五剣ごけん(三六六・二メートル)を中心とする八栗やくり山地と、南部の二〇〇メートル内外の低い山地との間に平地があり、志度湾西部に面している。山地面積が約三割を占める。古くから開発された地域で町内各地に弥生遺跡があり、また源平合戦の古戦場として著名である。平安時代には山城石清水いわしみず八幡宮領牟礼庄と奈良東大寺領はら保が成立、室町時代には京都天龍寺領原郷があった。なお江戸時代、町域の村々は三木郡に属したが、東隣寒川さんがわすえ(現志度町)にある高松藩主松平氏の菩提寺霊芝れいし寺への藩主参詣などの費用分担のため、ときに寒川郡に編入されて、同郡大庄屋の支配を受けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報