日本歴史地名大系 「片柳郷」の解説
片柳郷
かたやなぎごう
現片柳に比定される中世の郷。片楊とも書く。建武二年(一三三五)一一月九日の橘行貞打渡状写(正木文書)に「片楊郷足立郡内」とみえ、矢野伊賀入道善久跡の同郷などが岩松経家跡代官の頼円・定順らに打渡された。これは中先代の乱で経家が鎌倉をめざす北条時行の軍勢を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現片柳に比定される中世の郷。片楊とも書く。建武二年(一三三五)一一月九日の橘行貞打渡状写(正木文書)に「片楊郷足立郡内」とみえ、矢野伊賀入道善久跡の同郷などが岩松経家跡代官の頼円・定順らに打渡された。これは中先代の乱で経家が鎌倉をめざす北条時行の軍勢を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新