片岸村(読み)かたぎしむら

日本歴史地名大系 「片岸村」の解説

片岸村
かたぎしむら

[現在地名]釜石市片岸町

東は大槌おおつち湾に臨み、南は鵜住居うのすまい川を隔てて鵜住居村に対し、西と北は山嶺で鵜住居村および小槌こづち(現上閉伊郡大槌町)小槌村から古廟ごびよう坂を越えた浜街道は海寄りを通って鵜住居村に向かう。「三閉伊路程記」によると、当村は山沿いに人家があり、稲荷社は二社。「家ハ田舎びた住居なれども、居久根は竹の林など面白く植たるもありて、いとよき村」であった。「参考諸家系図」片岸氏の譜に、片岸明之助が当地に住し、旧地であるとして当村の二五〇石を賜ったことがみえる。小滝こたきさわの館跡は俗に安倍あべ館とよばれるが、閉伊十郎の後胤と伝える片岸氏の拠ったところであろう。

片岸村
かたきしむら

[現在地名]福地村片岸

八戸はちのへ城下(現八戸市)南西馬淵まべち川の中流左岸の丘陵地の山脚に位置する。東と北は苫米地とまべち村、西南斗賀とが(現名川町)、南は川を隔てて福田ふくだ村に接する。

藩政当初は盛岡藩に属したが、寛文四年(一六六四)八戸藩創設とともに同藩領に編入された。元禄一〇年(一六九七)の郷村御内所高帳に苫米地村四ヵ村の一として村名がみえ、高一二二・四七八石、うち田七八・三七石とある。延享三年(一七四六)戸口は二二軒・一二六人で、馬三八疋を飼養(「御巡見通行ニ付御差立勤方覚」概説八戸の歴史)名久井なくい通に属する。宝暦一三年(一七六三)大風雨により山押一〇軒、山崩一一軒の被害を受けた(「八戸藩日記」同年八月二二日条)

片岸村
かたぎしむら

[現在地名]遠野市土渕町柏崎つちぶちちようかしわざき

小烏瀬こがらせ川の下流に位置し、南は柏崎村。寛永四年(一六二七)の南部利直知行宛行状(三翁昔語)によれば、片岸村の高三五石余が八戸弥六郎直義(遠野南部氏)知行地となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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