瀬高下庄村(読み)せたかしものしようむら

日本歴史地名大系 「瀬高下庄村」の解説

瀬高下庄村
せたかしものしようむら

[現在地名]瀬高町下庄しものしよう上庄かみのしよう

瀬高上庄村の東、矢部やべ川東岸にある。ほぼ東西に通る薩摩街道に沿って形成された宿場町。村名は中世の瀬高下庄に由来する。天正一五年(一五八七)八月一二日立花統虎(宗茂)が大和熊若に宛行った二〇町の地のうちに「瀬高下ノ庄ひの口原」五反などが含まれていた(「立花統虎坪付」今村家文書)。同年九月三〇日に安東紀伊入道(家忠)に宛行われた瀬高下庄内一六町の地は長島おさじま村庄屋抱であった(「立花統虎坪付写」安東家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android