滝野村(読み)たきのむら

日本歴史地名大系 「滝野村」の解説

滝野村
たきのむら

[現在地名]白鷹町滝野

十王じゆうおう村の北東白鷹山(九九四メートル)南西麓に位置し、東方小滝こたき(現南陽市)とは小滝越の道で結ばれる。同街道沿いに折居おりい小手沢こてざわ細野ほそのなどの集落が点在。近世初期の邑鑑に村名がみえ、高三七一石余、免三ツ九分、家数二三(うち役家七・肝煎一)・人数一九七、役木として漆・桑・紅花青苧をあげる。蒲生氏高目録帳では滝とみえ、村柄は上。寛文四年(一六六四)藪口番所が設置された(滝野誌)。文化二年(一八〇五)の下長井村々大概帳(上杉家文書)によれば漆木が多く、諸木材・薪を多く産出し、女は剥木綿を業とした。

滝野村
たきのむら

[現在地名]飯高町宮前みやまえ

下滝野村の南西、神原このはら(現飯南町)の西、櫛田くしだ川の左岸にある。「神鳳鈔」に「内宮滝野御厨綿二十両、河北河南役、菓子御贄在之、六丁」とあり、享徳元年(一四五二)の庁宣注文(神宮文庫蔵)飯高郡の項に「滝野御菓子御贄」と記され、中世伊勢神宮領が成立していた。寛永一八年(一六四一)検地帳(徳川林政史蔵)に「滝野村」と記される。和歌山街道の宿駅として交通の要地であり伝馬所が置かれ、高札の掲場でもあった。明治二年(一八六九)大指出帳(同蔵)には、

<資料は省略されています>

とある。同指出帳に、滝野村の名称として「滝野之儀宮前とも相唱申候」とあるが、この宮前あるいは宮ノ前という名称については「五鈴遺響」に「宮前ノ名義ハ他州ノ旅客其駅郵ノ生土神ノ鳥居前ニ多キヲ以テ私称シテ尋ルノ称ヲ伝ヘテ自方俗モ称スルニ至レリ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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