滝野庄(読み)たきののしよう

日本歴史地名大系 「滝野庄」の解説

滝野庄
たきののしよう

現上滝野・下滝野を遺称地とする。「権記」長保二年(一〇〇〇)八月九日条に勧学院領の滝野庄がみえ、この時までに当庄は成立していた。同年九月二六日条には播磨利行が滝野庄総官に任命されたことが記されている。久安六年(一一五〇)一一月一五日の陰陽頭賀茂某下文案(井上四郎氏蔵春日経供養家記抄裏文書)によると、藤原俊宗を滝野ならびに高島たかしま庄下司職に任じたことを庄の住人に伝えている。年月日未詳の賀茂某下文案(同文書)によると、前下司依遠は親父助依の時から謀反を行い庄務を勤めないので藤原俊宗に交替したものであった。貞応元年(一二二二)五月一〇日の関東下知状案(国立歴史民俗博物館蔵経光卿維摩会参向記紙背文書)によると、「播磨国滝野・高嶋庄」は故右大臣(源実朝)の建暦二年(一二一二)の例に倣い、守護使不入とされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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