渡浦村(読み)わたらむら

日本歴史地名大系 「渡浦村」の解説

渡浦村
わたらむら

[現在地名]郷ノ浦町渡良南触わたらみなみふれ渡良西触わたらにしふれ渡良東触わたらひがしふれ渡良浦わたらうら麦谷触むぎやふれ

町域の西部、武生水むしようず村の西方に位置し、小半島状の地勢となっている。南北ともに入江を形成し(半城湾・宇土湾)、海岸部にまき崎・烏帽子えぼし崎・たま崎などがあり、沖にかい瀬・おお瀬・おきひら瀬・嫦娥じようが島が見える。地名は渡良などとも記される。大島おおしま瀬戸を挟んで南西にある大島・なが島・はる(原島)は渡良三島と称され、当村の属島とされる。承和二年(八三五)新羅商人の来航が頻繁であるとして「綿浦」など一四ヵ所の崎に要害が設けられ、兵仗を帯した徭人をもって守らせたという(壱岐名勝図誌)宮尾の国津みやおのくにつ神社は「延喜式」神名帳に記される石田いしだ郡一二座の一つ「国津神社」あるいは「物部布都神社」に比定する説がある。正平二四年(一三六九)の壱岐神領図(壱岐史拾遺)では物部ものべ庄のふつ(現物部布都神社)の神領九四町のうちとして渡良村とあり、同年とされる壱岐国七社神領敷地定書(同書)では鴨打氏の領知として渡浦がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報