ひがし‐やま【東山】
[一] 特に京都市の東縁に連なる丘陵性の山地。主峰は
如意ケ岳(にょいがだけ)(四七〇メートル)。その温和な山容は鴨川とともに京都の自然美の代表的なものとして親しまれている。古来、京都を守る軍事上の要地となり、平安時代以降は、貴族の別荘地としても知られた。ふもとに清水寺・知恩院などがある。東山三六峰。
※平家(13C前)灌頂「
建礼門院は、東山の麓、吉田の辺なる所にぞ立いらせ給ひける」
[二] 京都市の行政区の一つ。東山の南部と鴨川にはさまれた地域で、古くからの京都市街地の東南部を占める。昭和四年(
一九二九)上京区から分離して新設された。同六年に宇治郡山科町を編入したが、山科区として同五一年に分区。知恩院・
八坂神社・清水寺・東福寺・三十三間堂などの社寺があり、京都の代表的な花街の祇園がある。
とう‐さん【東山】
[1] 〘名〙 (「とうざん」とも) 東方の山。ひがしのやま。
※
文華秀麗集(818)上・秋夕南池亭子臨眺〈
淳和天皇〉「明月東山看漸出、莫愁白日巖頭曛」 〔詩経‐豳風・東山〕
※万葉(8C後)六・九七二・左注「右撿二補任文一八月十七日任二東山々陰西海節度使一」
とう‐ざん【東山】
[1] 中国、浙江省紹興市の南方、上虞県の西南にある山。東晉の謝安が妓をたずさえて隠棲した所。雲門山。
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デジタル大辞泉
「東山」の意味・読み・例文・類語
とう‐さん【東山】
《「とうざん」とも》東方の山。
「東山道」の略。
「義仲も―北陸両道をしたがへて」〈平家・七〉
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東山
ひがしやま
鴨川の左岸、京都盆地の東を区切る南北の山峰の総称。鴨東(洛東)の汎称としても用いられ、時代によっては地域名としての白川(河)と同義的に使われることもあった。北限は如意ヶ嶽、また比叡山までともいうが、現在は、大津市にかかる比叡山から伏見区稲荷山までをさすのが一般的である。東山三十六峰として賞され、「枕草子」冒頭の「春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」も、東山の姿を描いたものとされる。
古く嵯峨天皇の漢詩「和光法師遊東山之作」(文華秀麗集)に「幽栖東岳上(後略)」と詠まれるが、天長三年(八二六)一一月二四日付東寺請曳材状案(東寺文書)にも「塔幢材木近得東山」とみえ、弘仁一四年(八二三)東寺を与えられた空海が、東寺の結構がいまだ整わぬために堂宇建設の用材を各地から調達した際、東山で「塔幢材木」を得ていることが知れる。
東山
ひがしやま
[現在地名]美郷村 湯下・恵美子・古土地・奥丸・栗木・花地・上谷・大野・大鹿・丸山・栩谷・月野・中谷・殿河・東山峠・来見坂・山王・暮石・木屋浦、鴨島町樋山地
別枝山の東、川田川支流東山谷川の流域山間を占める。南は名西郡上山村下分、東は同郡阿河村(いずれも現神山町)、北は学村・桑村(現川島町)など、北東は敷地村(現鴨島町)。「阿波志」は古く樋山路村と称したとし、村内の名として小栩(古土地)・大鹿・月野・上谷・野瀬・湯下、蛭子(恵美子)・中畠・中西・栗木、樋山路(樋山地、鴨島町樋山地)・栩谷、円山(丸山)・立岩・中尾、木屋裏(木屋浦)・来見阪(来見坂)の一七名をあげる。近世の郷村帳類では樋山路名が樋山路村として本村とは別筆の一村に扱われる場合もあった。また種野山などとともに麻植十山の一つに数えられていた。中世には麻殖山ともいった種野山のうちで、嘉暦二年(一三二七)三月八日の種野山在家年貢等注進状案(三木家文書)に「東山名一四宇 公方分不存知仕」とみえ、東山名には種野山惣本在家一二三宇半のうちの免在家四九宇半があったが、田数および所当銭の額は不明であった。
東山
ひがしやま
天正一四年(一五八六)正月二〇日の諏訪神社領収納日記(新編会津風土記)に「ひかしやま日記年貢の事」として「山田より三百文、九郎兵衛より三百文、筑後三百文、宮主田より七百五十文、をのうらより五百文、さんくうめん七百文か所、此うち宮主をはいとく院へ進置なり、をのうらをは庵訪へ進置なり、正月廿五日にうちむき百文」とある。
東山
ひがしやま
八丈島南東部にある火山で、三原山ともいう。標高七〇〇・九メートル。古い火山であり、浸食を受けて山容は複雑である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東山 (ひがしやま)
京都盆地の東側の山地,または鴨川東岸のその山麓部一帯の総称。山地をさす場合,北は比叡山から南は稲荷山までとするのが一般的であり,京都市左京区,東山区,山科区,伏見区にまたがる。南北に連なる東山の峰々は〈東山三十六峰〉とも称されるが,諸説あってそのすべてを確定することはできない。山腹で送り火がたかれる大文字山(465m)とその東の如意ヶ岳(472m)をほぼ中心に,北側は花コウ岩,南側は古生層からなり,概して南側の方はなだらかで,嵐雪の句〈ふとん着て寝たる姿や東山〉はよく知られる。平安京の東側にあたり,古くから山中越え,東海道,渋谷越えなど東国との交通路が何本も鞍部を越えている。山麓一帯は政治的・戦略的要地でもあり,院政期の六勝寺,平氏の六波羅邸,鎌倉幕府の六波羅探題などが置かれ,またしばしば戦火にみまわれた。鳥辺野など古くからの陵墓,葬送の地としても知られており,清水寺,南禅寺,吉田神社など有名寺社も多い。
執筆者:金田 章裕
東山[温泉] (ひがしやま)
福島県中部,会津若松市にある温泉。含食塩セッコウ泉,52℃。背炙(せあぶり)高原と吹矢山山地に深い峡谷をうがって北流する湯川に沿った山間に位置し,狭い谷底や段丘上に温泉街が形成されている。湯川の西側を走る東山断層とそれに付随する断層線に沿って34の源泉があり,湧出量も多い。8世紀に行基によって発見されたと伝えられ,古くは〈天寧寺の湯〉ともいわれた。江戸時代には温泉宿に湯女を置くことを許され,会津唯一の遊興地として奥州三楽境の一つといわれた。戊辰戦争後一時衰えたが,明治以降,国鉄(現JR)磐越西線の開通や鶴ヶ城跡への連隊の設置などにより復興し,第2次大戦後さらに発展した。毎年8月13~20日に行われる東山盆踊は有名。近くに雨降滝,金壺滝,屛風岩などの景勝地もあり,背後の背炙高原からは猪苗代湖や磐梯山が眺望できる。
執筆者:大澤 貞一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東山
ひがしやま
岩手県南端,一関市中北部の旧町域。北上川の支流砂鉄川沿いにある。 1955年長坂村と田河津村が合体して東山村となり,1958年松川村を編入して町制。 2005年一関市,花泉町,大東町,千厩町,室根村,川崎村の6市町村と合体して一関市となった。地名は古代以来の地域名による。中世以降葛西氏一門の所領であったが,のち伊達氏が支配。大部分は北上高地南部の丘陵地帯に属し,耕地は砂鉄川の流域に開ける。米作,畜産が中心。石灰岩の埋蔵が豊富で,セメント工場がある。伝統の手すき和紙である東山和紙 (とうざんわし) や紫雲石 (しうんせき) の硯は特産。石灰岩地帯を流れる砂鉄川の両岸に形成された猊鼻溪は国の名勝に指定されている。
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東山【ひがしやま】
京都市街東側の山地。北の如意ヶ岳(最高峰,474m)から南の稲荷山まで標高200〜450mの起伏が連なり,東山三十六峰と呼ばれる。《枕草子》の冒頭は東山の景観を描いたものとされ,平安京遷都前は葬地であり,のちには貴族の別業(別荘),花の名所としても知られる。如意ヶ岳西方の大文字山は大文字の送り火で有名。東山ドライブウェーが通じ,西麓には古社寺が多い。花山(かざん)山には花山天文台がある。
→関連項目京都[市]|鳥辺山|東山[区]
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東山
(通称)
ひがしやま
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 東山殿旭扇 など
- 初演
- 寛保2.9(大坂・佐渡島座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
ひがしやま【東山】
福島の日本酒。酒名は、朝日が昇る山の意で創業時に兵庫の酒造家から譲り受けたもの。蔵元の「東山酒造」は明治期創業。現在は廃業。蔵は会津若松市相生町にあった。
出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報
世界大百科事典(旧版)内の東山の言及
【納骨】より
…このような[蔵骨器],骨壺は奈良時代のものが多数発見されており,青銅製のほかに陶製,銀製,ガラス製,石製,木製などがある。これらはとくに霊場に納めたものでないが,霊場としては《類聚雑例》に,921年(延喜21)中納言源当時の遺骨を粉にして一器に入れ,東山住僧蓮舟法師の私寺屋に安置した,とあるのが古い。これは京都東山が霊場で,修行者や念仏聖(ひじり)のあつまるところだったので,その1人の住坊に預けて供養せしめたものである。…
※「東山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」