清水峠越往還(読み)しみずとうげごえおうかん

日本歴史地名大系 「清水峠越往還」の解説

清水峠越往還
しみずとうげごえおうかん

上野と越後を結ぶ道の一で、水上みなかみ町と新潟県南魚沼みなみうおぬま塩沢しおざわ町の境にある清水峠(標高約一四五〇メートル)を越えるのでこの称がある。清水道・清水街道ともいい、水上では清水の直越すぐごえ塩沢では直路じきろといった。後述のように江戸時代には峠越えの交通が禁じられ、越後への道としては利用されなかったが、地域地域で様々な名称でよばれ国内交通の道として機能した。近年の復元調査によれば、道筋は沼田町を基点榛名はるな硯田すずりだ恩田おんだ(以上沼田市)政所まんどころ真庭まにわ後閑ごかん下牧しももく上牧奈女沢なめざわ(以上月夜野町)高日向たかひなた小仁田こにた川上かわかみ湯原ゆばら大穴おおあな幸知こうち湯檜曾ゆびそ(以上水上町)―清水峠である。このうち後閑―小仁田間は月夜野つきよの町―小川おがわ石倉いしくら(以上月夜野町)―小仁田の別ルートもあったという。なお峠へは幸知から粟沢あわざわ藤原ふじわら(水上町)を経てたから川をさかのぼり、朝日あさひ岳東尾根うま峠を越える道もあり、これが古かったようである。

いつ頃からこの道が使われ出したかは不明だが、上杉謙信は上野侵攻に際して三国街道とともにこの道を利用したと伝え、永禄五年(一五六二)正月二六日の上杉氏制札写(上杉家文書)では、関東往来者の「上田大手」の通行を止めて直路を通行させている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報