清子村(読み)せいしむら

日本歴史地名大系 「清子村」の解説

清子村
せいしむら

[現在地名]養老町勢至せいし

石畑いしばた村の北西、養老山地東側の行平ゆきひら谷麓にある。北は竜泉寺りゆうせんじ村。史料上勢至村ともみえる。応永二七年(一四二〇)八月二〇日の土岐善弘書状案(玉井家文書)に勢至寺がみえ、同寺が足利義満からもらった寺域の安堵状を紛失したため、善弘が改めて証明している。「蔭涼軒日録」寛正六年(一四六五)五月七日条に「勢寺」とあり、写本によっては勢至村とも記される。同条によれば椿井つばい郷付近の街道での違乱を守護に停止させるよう勢至寺が幕府に求めている。当地には鉄座があり栄えたようで、永禄一二年(一五六九)四月日の玉井小兵衛宛織田信長朱印状(玉井家文書)に「当国勢至□鉄座牌」とあり、鉄座の牌が武馬三郎右衛門尉の折紙どおりに認められ、また諸商人宿に対する違乱を停止している。

清子村
せいごむら

[現在地名]身延町清子

蛇行しながら南流する富士川の西岸段丘上に位置し、西は相又あいまた村。慶長古高帳に俵子村とみえ、高九〇石余。寛永元年(一六二四)の四郡村高帳には清子村とみえる。延宝五年(一六七七)改の寛文一一年(一六七一)検地帳(県立図書館蔵)によると高一八五石余、反別は上田八反余・中田一町五反余・下田二町七反余・下々田七反余、上畑二町一反余・中畑三町一反余・下畑八町九反余・下々畑一九町四反余・山畑四町二反余・苅立畑一五町七反余、屋敷七反余、ほかに雲沢うんたく(現日蓮宗)・伊勢社・八幡社の除地がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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