深大寺用水(読み)じんだいじようすい

日本歴史地名大系 「深大寺用水」の解説

深大寺用水
じんだいじようすい

深大寺村などを灌漑した用水。安政二年(一八五五)に起きた大地震により深大寺村野ヶ谷のがやの釜といわれた湧水がふさがったために、そこから用水を引いていた深大寺・佐須さず柴崎しばさき金子かねこ大町おおまち覚東がくとう(現狛江市)の六ヵ村が水不足となった。これにより深大寺村戸長富沢松之助が発起人となり、佐須村の佐保田角右衛門ほか四名の協力者とともに、明治三年(一八七〇)玉川上水からの分水を計画、翌年五月許可されて着工、開通した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報