海南神社(読み)かいなんじんじや

日本歴史地名大系 「海南神社」の解説

海南神社
かいなんじんじや

[現在地名]三浦市三崎四丁目

三崎みさきの町ほぼ中央、三方を森に囲まれ、南向きに位置する。祭神は藤原資盈・同夫人盈渡姫。旧郷社。貞観六年(八六四)勧請、天元五年(九八二)社殿を造営したと伝え、三浦郡の総鎮守。祭神・宝物に関する伝説は「三崎志」「風土記稿」などに頻出する。「吾妻鏡」の寛永三年(一六二六)活字本によれば、文治五年(一一八九)四月三日条に「三崎社」とあるが、これは「三島社」が正しいと思われる。天正一九年(一五九一)海南大明神は「三崎之内 五石」の朱印地を得ている(相中留恩記略)。「三崎志」によれば、文禄年中(一五九二―九六)長谷川長綱によりむこうさき村に免田の寄付を受け、幣殿拝殿が建立された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報