浜横沢村(読み)はまよこさわむら

日本歴史地名大系 「浜横沢村」の解説

浜横沢村
はまよこさわむら

[現在地名]室根村折壁おりかべ

下折壁村の南東にある。南流するおお川は村の中央で東に向きを変え、東境すみ(名木沢川)が合流する。南には笹森ささもり山がそびえ、東は陸奥本吉もとよし新城しんじよう(現宮城県気仙沼市)。大川沿いに気仙沼けせんぬま街道が通る。初め陸奥桃生ものう郡に属したといわれる。中世には横沢村とよばれた。元亀二年(一五七一)七月一〇日の葛西晴信宛行状(折壁横沢文書)によれば、亡父の譲状により「横沢村一宇」が横沢平九郎に安堵されている。横沢氏は浜横沢城主とされる。天正七年(一五七九)には富沢日向守の反乱の際の清水しみず(現西磐井郡花泉町)での合戦の功により、横沢邑三千刈の地が加増分として千葉肥前に宛行われた(同年三月二七日「葛西晴信知行宛行状写」石越千葉文書)。同一六年の浜田安房守の反乱後には、横沢の二千刈の地が佐々木四郎右衛門に加増分として与えられている(同年六月七日「葛西晴信知行宛行状」一関永沢文書)

浜横沢村
はまよこさわむら

[現在地名]鰺ヶ沢町浜横沢町

中村なかむら川中流左岸にあり、北は大宮おおみや村、南は滝淵たきふち村、東は片屋敷かたやしき村に接する。

正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の鼻和はなわ郡の新田に高四一二石とある。貞享四年(一六八七)検地帳に村高二三五・三一八石、うち田方二一五・三七八石、畑方一九・九四石とあり、除地として毘沙門堂地や熊野堂地が記される。同帳の貼紙に「享保十一午年郷村御改之節此横山村ヲ浜横沢村御改被成候」とあり、検地帳では横山よこやま村と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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