浅野吉次郎(読み)あさの きちじろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野吉次郎」の解説

浅野吉次郎 あさの-きちじろう

1859-1926 明治-大正時代事業家
安政6年5月14日生まれ。生家は樽(たる)や桶(おけ)の製造尾張(おわり)名古屋藩御用をつとめる。ベニヤでつくられたイギリス製茶箱を研究し,明治42年浅野式合板を完成。大正13年ごろには国内の飛行機用合板のほとんどを供給した。大正15年2月26日死去。68歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の浅野吉次郎の言及

【合板】より

改良木材【大熊 幹章】
[合板製造の歴史]
 今日的な意味での合板を世界で最初に作ったのは,19世紀前半,西ドイツの指物師M.トーネットだろうといわれているが,商業ベースに乗る合板生産の最初のものは,1905年アメリカのオレゴン州ポートランドに開設されたカールソン合板工場とされる。日本における合板製造の歴史は比較的古く,1907年に浅野吉次郎が浅野木工所において作ったアサノ板が最初であるが,これはまったく独自の着想によるものであった。当初は,接着剤としてはにかわが主として使われたが,その後カゼイングルー,大豆グルーへと変化し,第2次大戦以後は日本においても,耐水性にすぐれた合成樹脂接着剤が主流となり,高度な接着性能をもった合板が生産されるようになった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」