浅草聖天町(読み)あさくさしようでんちよう

日本歴史地名大系 「浅草聖天町」の解説

浅草聖天町
あさくさしようでんちよう

[現在地名]台東区浅草六―七丁目

浅草山之宿あさくさやまのしゆく町の北西に続く日光道中両側の町。東は浅草金龍山下瓦あさくさきんりゆうざんしたかわら町と待乳まつち山聖天宮(本龍院)境内、北は浅草山川あさくさやまかわ町・浅草新鳥越あさくさしんとりごえ町一丁目、西は武家地(のち浅草猿若町一―三丁目)。北部の西側に入る道沿いは浅草聖天横町。起立年代は不明。寛文新板江戸絵図に「聖天丁」とある。規模は南北三町三〇間余・東西約二町一五間。浅草山之宿町から当町および浅草金龍山下瓦町へと分れる日光道中の追分三つ股みつまたと俗称された。町奉行支配で浅草寺領年貢地、反別は三町一反余。文政八年(一八二五)の浅草聖天横町を含む家数六一八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報