泊浜(読み)とまりはま

日本歴史地名大系 「泊浜」の解説

泊浜
とまりはま

[現在地名]牡鹿町泊浜

北西はおおかわら峠で谷川浜やがわはま、南は新山浜にいやまはまに通じる道があり、東は海に面する。正保郷帳には畑方のみ記され、二六文で雑木山と注記される。藩政期を通じ蔵入地で、牡鹿郡遠島十八成組大肝入扱いのうち。「肯山公治家記録」元禄元年(一六八八)一〇月一四日、一五日条に、大雨で仙台藩領の「海辺潮漲リ」の際、「牡鹿郡(泊)新山浜(磯)浜ノ辺漁家破壊ス、漁舟二艘破損ス」とある。「牡鹿郡万御改書上」によれば元禄年間の人頭一八人、男一五一・女八五。村高は畑三六〇文で、うち三三四文は新田、海上高二貫九六〇文。泊浜在家東西一町四五間・南北一八間。一〇ヵ所の御林があり二人の御山守がいた。神社は神明宮・山王宮の二社。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報