泉橋寺(読み)せんきようじ

日本歴史地名大系 「泉橋寺」の解説

泉橋寺
せんきようじ

[現在地名]山城町上狛 西下

木津きづ川北岸の堤防下にある。玉竜山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。橋寺はしでら・泉橋院ともいう。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔創建〕

もと律宗の寺院で、創建は天平一二年(七四〇)あるいは同一三年とされ、行基がいずみ(木津川)架橋の時その供養のために建立した。寺名もこれによる。行基建立の五畿内四九院の一。貞観一八年(八七六)三月一日の太政官符(類聚三代格)に「応旧充浪人二人泉橋寺并渡船仮橋等事」として次のように記される。

<資料は省略されています>

ほぼ同内容の官符が「三代実録」同月三日条にある。「行基大菩薩行状記」は「天平十三年辛巳木津川大橋をわたし、狛の里に伽藍を立、僧院として泉橋院と号す」とする。なお「作者部類」は「天平十三年春三月、掩留泉橋院、天皇行幸、終日清談、奉施食封一百戸、左大臣橘朝臣、奉施食封五十戸、于時天皇玉駕巡於泉河、乃請大菩薩、終日讌楽」と伝える。「蜻蛉日記」の安和元年(九六八)初瀬はせ詣の途中の記事に、「そのいづみがはもわたりて、はしでら(橋寺)といふところにとまりぬ」とあり、寺の「はたご(旅籠)ところとおぼしきかた」(宿坊の台所)から「きりおほね(切大根)、物のしるして、あへしらひて」出され、「あやしうわすれがたうをかしかりしか」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の泉橋寺の言及

【木津[町]】より

…木津川は古代には泉河とよばれ,木津は泉津,泉木津と称され,東大寺をはじめ奈良の寺院はこの地に木屋を設けた。北岸には行基によって泉橋寺が建てられ,橋が架けられたが,《三代実録》には,川の流れが急なため橋梁が破壊されやすく,洪水のたびに通行が不能となったと記している。【千田 稔】。…

【山城[町]】より

…天神川,不動川,鳴子川などが東部山地から西流,平地で天井川となって木津川に注ぐ。木津川東岸の丘陵末端には椿井(つばい)大塚山古墳(大塚山古墳)があり,北岸の上狛(かみこま)には泉川(木津川)架橋のとき行基が建立した泉橋(せんきよう)寺(橋寺(はしでら)),《日本霊異記》に名のみえる高麗(こま)寺跡(史)がある。〈狛野〉〈狛のわたり〉とよばれたこの一帯はやがて興福寺領狛野荘となり,室町時代には狛野南荘に狛氏,北荘に椿井氏がおり,応仁の乱や山城国一揆を経るなかで勢力の消長があった。…

※「泉橋寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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