河内王(読み)かわちおう

朝日日本歴史人物事典 「河内王」の解説

河内王

没年持統8.4(694)
生年:生年不詳
7世紀末の筑紫大宰帥。川内王とも。朱鳥1(686)年,新羅使金智祥を饗応するために筑紫に遣わされ,同年9月天武天皇の殯宮において,左右大舎人を代表して誄した。時に浄広肆(のちの従五位下)。持統3(689)年,筑紫大宰帥に。同6年,持統天皇の詔を受け,沙門を大隅と阿多(いずれも鹿児島県)に遣して仏教を伝えさせた。没後浄大肆(従五位上)を贈られた。王を豊前国鏡山(福岡県香春町)に葬ったとき,手持女王(王の妻か)が作った歌3首が『万葉集』巻3にある。なお,河内王を名乗る人物は,ほかに奈良時代に複数いるが,さしたる事績のある人はいない。

(狩野久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河内王」の解説

河内王 かわちおう

?-694 飛鳥(あすか)時代の官吏
天武天皇15年新羅(しらぎ)(朝鮮)使の金智祥をもてなすため,筑紫(つくし)につかわされる。持統天皇3年(689)筑紫大宰帥(だざいのそち)となり,のち僧を大隅(おおすみ)・阿多(ともに鹿児島県)に派遣して仏教をつたえさせた。持統天皇8年4月死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例