沖野(読み)おきの

精選版 日本国語大辞典 「沖野」の意味・読み・例文・類語

おきの【沖野】

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「沖野」の解説

沖野
おきの

愛知えち川左岸の八日市段丘上にある原野で、広義蒲生がもう野の一角を構成、神崎蒲生両郡の境を占める。ほぼ現在の沖野一―五丁目・東沖野一―五丁目一帯に広がっていた。中世には得珍とくちん保などの周辺諸郷の入会地で、燃料や肥料の採取地として利用されていた。応永二六年(一四一九)八月一三日に今堀十禅師いまぼりじゆうぜんじ社御戸開田として寄進された得珍保内の畠一反は、「ヲキノ野堂林上」にあった(「正胤畠寄進状」今堀日吉神社文書)。応仁二年(一四六八)八月には延暦寺から「蒲生野草苅庭」は先規のとおり得珍保内八郷の入会地とすること、また作毛も同様に八郷立会いとすることが命じられており(「山門学頭代制札案」同文書)、入会地を分割しようとする惣村側の動きがあったことがうかがえる。大永五年(一五二五)には保内とかき御園との間に沖野草刈場領有をめぐる争いがあり、保内八郷は延暦寺と守護六角氏の力を後ろ楯に惣庄で訴訟に当たったとみられる(同年三月二日「山門学頭代下知状」同文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の沖野の言及

【八日市[市]】より

…中心市街地の八日市は多賀大社に通じる御代参(ごだいさん)街道と鈴鹿山脈を越えて伊勢に通じる八風(はつぷう)街道が交差する交通の要衝で,明治以前は毎月2・8の日に市が開かれた。1920年ほぼ中央の沖野に飛行場が建設され,翌年第16師団航空第3大隊が配置されたため,45年までは軍事都市的な性格が濃厚であった。市街地周辺では古くから畑作が卓越しており,茶やタバコの栽培が盛んである。…

※「沖野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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