沈惟岳(読み)しん・いがく

朝日日本歴史人物事典 「沈惟岳」の解説

沈惟岳

生年生没年不詳
奈良時代の唐の人で,のち日本に帰化天平宝字5(761)年遣唐大使藤原清河を迎えるため唐に遣わされた高元度ら一行を日本に送る使の押水手官(船長)として来日した。そのときの官位は越州浦陽府折衝(折衝は府の武官)賞紫金魚袋であった。同7年1月唐の動乱が激しく帰国し難いことによって,大宰府(太宰府市)でかれらを安置優遇すべきとの勅が下り,やがて沈惟岳以下来日した全員が日本に帰化した。特に沈惟岳は宝亀11(780)年11月に正六位上から従五位下に叙せられ,翌月清海宿禰を与えられて左京に編付された。のち延暦8(789)年3月に美作権掾に任じられたことが知られるが,以後の消息は不明。

(橋本義則)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「沈惟岳」の解説

沈惟岳 しん-いがく

?-? 唐(とう)(中国)の官吏
遣唐使藤原清河(きよかわ)をむかえに唐にわたった高元度(こう-げんど)をおくって,天平宝字(てんぴょうほうじ)5年(761)大宰府(だざいふ)に来着。唐の動乱のため帰国せず,宝亀(ほうき)11年従五位下にのぼり,清海宿禰(きよみのすくね)の氏姓をあたえられた。のち美作権掾(みまさかのごんのじょう)。

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