江梨村(読み)えなしむら

日本歴史地名大系 「江梨村」の解説

江梨村
えなしむら

[現在地名]沼津市西浦江梨にしうらえなし

久料くりよう村の西、伊豆半島の北西端に位置する。北は海(内浦湾)に面し、村の西端部から北東方に海に突き出た大瀬おせ(長さ八町)内浦うちうら湾を扼している。南西背越せごえ山越井田いだ(現戸田村)に通じていた。なお当村および久料・足保あしぼ古宇こう立保たちぼの五ヵ村を江梨五ヵ村とも称している。古代の田方たがた吉妾きしよう瀬崎せざき(瀬前)里を大瀬崎付近とする説もある。

「北条五代記」などによると明応二年(一四九三)伊勢長氏(北条早雲)が伊豆国に攻め入ったとき、「江梨の鈴木ひやうこの助」が三津みとの松下三郎左衛門尉らとともに長氏の幕下に入っている。年未詳四月二日の大道寺盛昌書状(江梨鈴木文書)には「其郷不入之子細ハ、早雲寺殿様駿州石脇御座候時より申合、其後数ケ度之忠節、御感状数通拝領」とあり、長氏の駿河石脇いしわき(現焼津市)在城時代に鈴木氏がすでに長氏の麾下となっており、江梨郷が不入の特権を得ていたことをうかがわせる。ただし同書状の発給前後に不入の特権は廃止されたと思われる。永禄元年(一五五八)一一月一日には北条氏が江梨からの四人を含む新造熊野船の乗員三三人を徴発し、駿河清水から網代あじろ(現熱海市)まで木材を回漕させている(「北条家朱印状写」長浜大川文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報