江儀遠山庄(読み)えぎとおやまのしよう

日本歴史地名大系 「江儀遠山庄」の解説

江儀遠山庄
えぎとおやまのしよう

「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条の乃貢未済庄々注文に「江儀遠山庄」とあるのが初見である。平安時代の領家は不明であるが、鶴岡八幡宮寺供僧次第に記されていることから、建保二年(一二一四)には鶴岡つるがおか八幡宮領であったことは確かである。鶴岡八幡宮の供奉僧仲円が、源氏のために長日仁王会・法華会を修するにあたって、遠山庄をその料所にあてたことを示している。同文書に「北条遠江守時政申沙汰之」とあることから、地頭職は北条時政であったと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報