永用名(読み)ながもちみよう

日本歴史地名大系 「永用名」の解説

永用名
ながもちみよう

鎌倉時代にみえる加治木郷内の名。比定地は未詳だが、加治木氏惣領家の居城加治木城があった現加治木町反土たんど近辺に求められるか。大隅国建久図田帳によれば、加治木郷内に「公田永用」一〇六町二段半がみえ、加治木郡司(郷司)大蔵吉平(加治木吉平)の妻が領有していた。永用名は正八幡宮領(現鹿児島神宮)であったが、府別府(大宰府管轄の別符)と称して五〇町分の所当一千疋を勤仕するばかりで、残りの六〇余町分については大宰府・国衙にも弁済せず、国務にも従わなかった。建久九年(一一九八)三月一二日の大隅国御家人注進状写(隼人桑幡文書)には、国方御家人の一人として加治木郡司吉平の名がみえる。加治木氏の本姓は府官(大宰府の官人)系の大蔵氏で、永用名の場合、大宰府の権威を利用することによって領主制を拡大させていったのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報