デジタル大辞泉
「永正」の意味・読み・例文・類語
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えいしょう エイシャウ【永正】
室町時代、
後柏原天皇の代の年号。文亀四年(
一五〇四)二月三〇日甲子
(かっし)革命により
改元。
将軍足利義澄・義稙
(よしたね)の
時代。永正一八年(
一五二一)八月二三日に
大永と改元された。
出典は「周易‐緯」の「永正
二其道
一咸受
二吉化
一、徳弘
二(施)四海
一、能継
二天道
一」とあるのによる。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
えいしょう【永正】
日本の元号(年号)。室町時代(戦国時代)の1504年から1521年まで、後柏原(ごかしわばら)天皇の代の元号。前元号は文亀(ぶんき)。次元号は大永(たいえい)。1504年(文亀4)2月30日改元。甲子革令(かっしかくれい)を理由として行われた(甲子改元)。1504年は甲子の年にあたり、徳を備えた人に天命が下される革令の年で変乱が多いとされることから、先例にならい、甲子革令を防ぐ目的で改元が行われた。『周易緯(しゅうえきい)』を出典とする命名。永正年間の室町幕府の将軍は足利義澄(よしずみ)(11代)、足利義稙(よしたね)(10代)。1507年(永正4)、幕府の権力を掌握していた細川氏(京兆家)の内部対立から、細川政元(ほそかわまさもと)が暗殺されるという事件(永正の錯乱(さくらん))が起こった。この事件をきっかけに、畿内では将軍家を巻き込んで各勢力が対立・衝突する戦乱(両細川の乱)が始まった。
出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報