日本歴史地名大系 「永松銅山跡」の解説 永松銅山跡ながまつどうざんあと 山形県:最上郡大蔵村南山村永松銅山跡[現在地名]大蔵村南山南山(みなみやま)村のほぼ中央に位置する肘折(ひじおり)温泉から南に一四キロ余、銅山(どうざん)川上流域にある。永松銅山開由来記(佐藤文書)によれば、当銅山は慶長一六年(一六一一)、間沢(まざわ)村(現西村山郡西川町)の荒木源内の発見に始まると伝え、源内は水戸堀・立石沢などの坑口を開いたという。元和八年(一六二二)戸沢氏入部以降は町人請による稼行であったと思われ、寛文年間(一六六一―七三)は江戸銭座の弥左衛門・八右衛門が銅一個一六貫目につき役銀二匁で請負っている。延宝五年(一六七七)には前出源内が大永松で鉱脈を発見、しばらく源内らが経営したが撤退し、のち天和二年(一六八二)までは大坂の町人大坂屋久左衛門が銅一個につき役銀六匁で請負った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報