民主主義科学者協会(読み)みんしゅしゅぎかがくしゃきょうかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「民主主義科学者協会」の意味・わかりやすい解説

民主主義科学者協会
みんしゅしゅぎかがくしゃきょうかい

第二次世界大戦の敗戦後、科学運動を推進した科学者団体。略称民科。1946年(昭和21)1月12日結成された。「民主主義的科学者」の統一戦線として「日本の民主主義革命」に科学を通じて貢献することを目的に組織された。中心はマルクス主義者であった。社会科学、自然科学の各専門別の部会組織と地域別の支部・班組織をもっていた。『民主主義科学』『自然科学』『理論』などの機関誌を発刊青年、学生に大きな影響を与え、49年末の最盛期には110支部、会員1万1000人に達した。しかし、50年の日本共産党分裂偏向の影響もあり、以後弱体化した。

[宮﨑 章]

『大沼正則他著『戦後日本科学者運動史 上』(1975・青木書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「民主主義科学者協会」の意味・わかりやすい解説

民主主義科学者協会 (みんしゅしゅぎかがくしゃきょうかい)

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世界大百科事典(旧版)内の民主主義科学者協会の言及

【民科】より

…民主主義科学者協会の略称。1946年1月12日に東京で創立。…

【ルイセンコ論争】より

…とくに第2次大戦後になって,ソ連の指導的生物学者であり,反ルイセンコ派の支柱であったバビロフN.I.Vavilovの獄死(1943)が伝えられる一方,48年の農業アカデミー総会における論争を機に,反ルイセンコ派の生物学者が大量に追放されたことが明らかになるにいたって,ソ連国外の生物学者たちは激しい抗議の声をあげることになった。日本においても47年以後,主として民主主義科学者協会系の生物学者によってルイセンコ学説が好意的に紹介されはじめた。通常の生物学者たちも,これを生物学上の問題提起として受けとめ,結実性のある議論が期待されそうであった。…

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