母体村(読み)もたいむら

日本歴史地名大系 「母体村」の解説

母体村
もたいむら

[現在地名]能代市母体

東に小掛こがけ(現山本郡二ッ井町)、西に檜山ひやま町がある。森林地帯で秋田杉産地。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に、「千百五拾三石八斗四升四合 たい村 おかま村扇田」とある。文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)には、二〇石七斗余と記され、慶長六年(一六〇一)の秋田実季侍分限(秋田家文書)には二一〇石六斗余と記される。母袋村とも書く。

梅津政景日記」元和五年(一六一九)一二月一日条に「もたい山之儀ニ付左兵衛様より御使有、拙者御返事申上分ハ、小羽・材木御公用ニ野城へ下候分ハ、中田彦大夫、太窪左門、田崎善介、小貫喜兵衛切手にて無異儀被遣、来暮ニハ、其切手爰元ヘ無残可被遣候」とあり、檜山城主多賀谷左兵衛が母体山を支配し、公用切出しを行って、野代へ下げている。

母体村
もたいむら

[現在地名]前沢町生母せいぼ

北上川左岸にあり、磐井いわい郡所属。地名モタイは川の落合う所を意味するアイヌ語からきているとみられる。東山ひがしやま街道が通る。中世には胆沢郡に属し、建武三年(一三三六)一一月三日、伊沢郡母体郷の屋敷一宇が中尊寺衆徒実幸から弟子千歳丸に譲られている(「実幸譲状」中尊寺文書)。「正法年譜住山記」永徳三年(一三八三)の項に「母体内栗木屋敷五百刈」が薄衣殿から、明徳三年(一三九二)の項に「母体郷内泉後畠一所」が平(葛西)清澄から正法しようぼう(現水沢市)に寄進されたことがみえる。天文二二年(一五五三)と推定される鱒沢長門守宛葛西晴胤書状写(阿曾沼興廃記)によると、晴胤は遠野殿に南部への固めとして母体などへ後詰してくれるよう依頼したことを報じている。母体姓を名乗るものに、水沢市姉体あねたいの遠藤智蔵遠藤氏系図に建久三年(一一九二)母体忠公、正安四年(一三〇二)母体山城守などがあるので、鎌倉時代以後代々母体氏がこの地方の地頭であったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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