樺島村(読み)かばしまむら

日本歴史地名大系 「樺島村」の解説

樺島村
かばしまむら

[現在地名]野母崎町樺島

脇御崎わきみさき村の南に位置する樺島を村域とする。北に細く深い入江が開き、南部に行者ぎようじや山がある。海岸部にきよう崎・里平さとひら瀬・唐人とうじん瀬・くちノ鼻などがある。中世は伊佐早いさはや庄内樺島などとみえ、北部の入江は中世より風待ち湊として利用された。康安元年(一三六一)深堀氏の所領となり、戦国期には有馬氏の勢力下に入る。永禄一〇年(一五六七)キリスト教の布教が行われ、元亀二年(一五七一)二ヵ所に教会が建立されている。天正一五年(一五八七)豊臣秀吉による九州国割によって樺島は有馬晴信に安堵されたという。慶長国絵図に「椛島」とみえ、高一一石余で、五島との間は四八里と記されている。慶長一九年(一六一四)有馬氏が転封、元和三年(一六一七)島原藩松倉氏領、寛永一五年(一六三八)同藩高力氏領となる。正保二年(一六四五)の高来郡内高力氏領分図に樺島村として高五三石余とあり、島原藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報