榴ヶ岡(読み)つつじがおか

日本歴史地名大系 「榴ヶ岡」の解説

榴ヶ岡
つつじがおか

[現在地名]仙台市榴ヶ岡

仙台城下の東部および城下外の南目みなみのめ村に続く段丘で、古くから歌枕に詠まれたつつじの名所。躑躅岡と書き、つつじのおかとも読むが、「観蹟聞老志」に山榴岡つつじがおかとあり、これを榴岡と略称したものであろう。名の由来は当地に産する紅躑躅を衣に染めて都々つつじずりにしたためという(同書)。「吾妻鏡」文治五年(一一八九)八月七日条に、鎌倉から北上する源頼朝の軍勢に対し、平泉藤原泰衡が国分原(宮城野とされる)鞭楯むちたて本陣を構えたとあるが、鞭楯は当地とされている。近世に入り西部は仙台城下に組込まれるが、仙台城造営の地として青葉あおば山などとともに候補に挙げられていたといい(東奥老士夜話)、またその最有力候補であったが第一希望地は許されまいとして千代せんだい(国分氏旧城)を望んだところ願いどおりになってしまったとも伝える(仙台名所聞書)

寛文七年(一六六七)四代藩主綱村が東照宮東隣にあった小田原天神社を当地に移したことにより(封内風土記)、当地天神社門前を天神下てんじんしたと称した。延宝城下絵図でみると、天神社の北東米蔵(原町米蔵)、東に材木(原町材木蔵)が設置され、寛文年間とされる舟曳堀の開通と関連があるといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報