楠葉村(読み)くずはむら

日本歴史地名大系 「楠葉村」の解説

楠葉村
くずはむら

[現在地名]枚方市北楠葉きたくずは町・町楠葉まちくずは一―二丁目・南楠葉みなみくずは一―二丁目・西船橋にしふなはし二丁目・樋之上ひのうえ町・楠葉〈中之芝なかのしば一―二丁目・なか町・野田のだ一―三丁目・おか一―二丁目・花園はなぞの町・並木なみき一―二丁目・朝日あさひ一―三丁目・美咲みさき一―三丁目〉など

河内国の北端淀川左岸沿いの沖積低地に位置し、京街道が西部を縦断する。交野かたの郡に属し、南は船橋村・上島かみじま村。上島村との境を船橋川が西流して淀川に注ぐ。「日本書紀」崇神天皇一〇年九月条によると、謀反を起こした武埴安彦が討たれた時、敗走する兵らが恐れて屎を褌から漏らしたところを屎褌くそばかまといい、転じて樟葉くすはになったという。「古事記」同天皇段にも同様の話がみえ、淀川の「久須婆之度くすばのわたり」があった。「和名抄」記載の葛葉くすは郷の地であるが、その訓「久須波」について「古事記伝」は、「今も楠葉村ありて、須を濁、波を清て呼なり」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報