植木神社(読み)うえきじんじや

日本歴史地名大系 「植木神社」の解説

植木神社
うえきじんじや

[現在地名]大山田村平田

平田ひらた東部赤井あかい鎮座、須佐之男命ほかを祀る。旧郷社。「伊水温故」に「牛頭天王 正一位天王素盞烏尊ヲ祭ル、当上町ノ氏社、号植木社 三坐 右ハ稲田姫天王ノ后宮 本地 馬頭観音 中ハ牛頭天王、素盞烏尊 本地 薬師仏 左ハ大己貴命天王ノ子 本地 正観音 往昔榊二本生立社中、今ニ生木たり、仍之植木と名ク」と記す。「三国地志」に「植木社、按、中村・鳳凰寺・甲野・富岡・川北・炊・畑・真泥・出後・平田ノ十邑倶ニ祭祀ニ預ル」とある。「三重県神社誌」所載の社記明細帳に当社はもと出後いずご村の清水谷きよみずだにの地にあったが、文永六年(一二六九)に大洪水に流されたため、平田村の現地に移転した。移転の決定にあたっては、枯れた榊枝を各所に挿し植えたところ、山田神社の地に挿した枯榊が根を生じたことから、この地を選び、山田神社と合殿に祀った。その後、天正九年(一五八一)兵火にあい、一時、東北方の平田村の飛地地獄谷じごくだにに仮社を営造、慶長の初め、再び当地に帰座したと伝える。

しかし「植木宮」の名称は、かつて当宮の所蔵であった大般若波羅蜜多経(上野市沖森直三郎氏蔵)の巻一の識語に「久寿二年十月八日始奉書写之」、また巻六〇〇の識語に「治承元年十二月廿二日於古山蓮徳寺書」とある両巻に「伊賀国山田郡殖木宮」と書記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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