桜井新田(読み)さくらいしんでん

日本歴史地名大系 「桜井新田」の解説

桜井新田
さくらいしんでん

[現在地名]住之江区東加賀屋ひがしかがや一丁目など

西および南は加賀屋新田北部地区と接し、北は西成にしなり津守つもり新田(現西成区)と接する。当地はもと住吉郡出見いでみ浜の寄洲であったが、加賀屋新田の桜井甚兵衛が天保元年(一八三〇)幕府の許可をえて開発、翌二年の検地で石高四二石余・反別七町余の地、また同一二年の検地で石高三石余・反別七反余の地がそれぞれ高入され新田となった。

桜井新田
さくらいしんでん

[現在地名]柏崎市下方しもがた

下方村に隣接する。寛文(一六六一―七三)頃に柏崎町の桜井長八の開発という(白川風土記)。天和三年(一六八三)の越後中将御領覚では下方村の新田として高三六石一斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報