桙衝村(読み)ほこつきむら

日本歴史地名大系 「桙衝村」の解説

桙衝村
ほこつきむら

[現在地名]長沼町桙衝

上小中かみこなか・下小中両村の東、江花えばな川の南岸の段丘に立地。式内社の桙衝神社が鎮座し、村名は社名に由来。同社の西側丘陵上に七世紀後半の造成と推定される才合地山さいごうちやま横穴古墳群がある。発掘調査された一号墳は長さ二六・四メートル、幅二六メートル、高さ一五・四メートル、玄室と玄室外から鉄鏃六〇余・鉄刀一・刀子三、そのほか轡・ガラス製小玉などが出土している。

興国元年(一三四〇)一〇月一〇日の北畠親房御教書(松平結城文書)に「鉾月楯合戦」とみえ、二階堂道存(時藤)の所領岩瀬郡内西方を南朝方の北畠氏が料所とし、結城親朝に与えたため、もとの領主時藤の家臣らが館に立籠って抵抗したようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報