根尾城跡(読み)ねおじようあと

日本歴史地名大系 「根尾城跡」の解説

根尾城跡
ねおじようあと

[現在地名]根尾村神所

根尾西谷ねおにしたに川と根尾東谷川の合流点の北に位置。越前と結ぶ交通の要地でもあった地点を見下ろす山中に所在した南北朝期の山城。「太平記」巻二二によれば、越前国の合戦に敗れた南朝方の将脇屋義助(新田義貞弟)が、当地へ落ちてきて根尾城に拠った。しかし美濃国守護土岐頼遠・同頼康に攻められ落城し、義助は尾張国へ逃れたという。なお同書巻二一に後醍醐天皇が没した折の南朝方忠臣のなかに、美濃国根尾入道がみえる。また「美濃明細記」には、根尾右京亮を神所こうどころの寺谷に住したとし、子の島右京・林出羽両名も当地に住していたが、のち飛騨の高山、徳山とくやま(現揖斐郡藤橋村)へそれぞれ移ったとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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