栗作庄(読み)くりつくりのしよう

日本歴史地名大系 「栗作庄」の解説

栗作庄
くりつくりのしよう

篠山川流域に展開したと考えられる庄園。古代栗作郷(和名抄)を継承する。鎌倉時代は「栗作保」とよばれ、内侍所御殿に油二石ないし二石二斗を毎年七月に貢進することになっていた(元弘三年五月二四日「内蔵寮領等目録」・年欠「毎月朔日内侍所供神物并御殿油注文」山科家文書)保内に蔵人所が所管する栗作御薗が古くからあり、供御人が四足の桶に入った栗一荷を毎年九月に備進した(「山槐記」応保元年九月九日条)。南北朝期以降は禁裏御服料所「栗作庄」とよばれるが(貞治四年正月一八日「室町幕府奉行人連署奉書」古文書集)旧来の保を継承したものであろう。領家職は応安七年(一三七四)一一月三日宝池院光助に宛行われたが(柳原家記録)、応永三二年(一四二五)閏六月三日京都天龍寺塔頭金剛院に宛行われ(「足利義持御判御教書」鹿王院文書)、永享七年(一四三五)、長禄二年(一四五八)、文明一〇年(一四七八)当知行等の安堵がなされている(永享七年二月二一日「足利義教御判御教書」、長禄二年三月一五日・文明一〇年五月二八日「足利義政御判御教書」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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