柿村(読み)かきむら

日本歴史地名大系 「柿村」の解説

柿村
かきむら

[現在地名]朝日町柿

小向おぶけ村の南西に位置し、東海道に沿って集落がある。西方は丘陵、東は平地。「神鳳鈔」に「柿神田五斗」と出る。室町時代この地に神宮領が存在したことは、寛正四年(一四六三)三月三〇日の段銭催促の停止を命じた内宮禰宜庁庁宣(氏経卿引付)に「柿散在」とあることでわかる。同年五月には柿御厨について同様の庁宣(同書)が出されている。柿神田・柿散在・柿御厨が同一のものか否か明らかではないが、神宮領といっても、下地にまで支配が及んでいたのではなく、単なる上分の収取のみであった。天正一一年(一五八三)の内宮神領本水帳写には「四石弐百文宮司二百文、守基二石五斗、守平壱石五斗 かき」とある。

柿村
かきむら

[現在地名]奈義町柿

広岡ひろおか村の東、高殿こうどの川沿いに立地し、川上久常ひさつね村、川下中島なかしま村。天文一四年(一五四五)二月吉日の広峯ひろみね神社(現兵庫県姫路市)社家肥塚氏の檀那村付帳(肥塚家文書)に東美作国の内「とよたの内かきのいちは」とみえ、市場が開かれていたことがわかる。また年未詳であるが同社家林家長の檀那村書(同文書)に「かき村 宿ハ すけミつ」とある。

慶長一七年(一六一二)の森忠政宛行状(黄微古簡集)で、勝北しようぼく郡柿村のうち二六石余などが松山八郎右衛門に与えられている。

柿村
かぎむら

[現在地名]長岡市柿町・たか町一―三丁目

東山丘陵の山間にあり、信濃川の支流柿川の上流に位置する。西の峰を越えると町田土倉まちだつちぐら村、北西方向に道を下れば鉢伏はちぶせ村・青木高畑あおきたかばたけ村に通じる。年欠の六月二日付長授院妙寿書状(上杉家文書)に「四郎左衛門分賀幾・摂待屋」とみえ、守護上杉定実の老臣長授院妙寿が同地を大須賀左衛門尉に宛行ったので、古志長尾氏の弥四郎(房景)に便宜を図るよう命じている。天正村名考(温古之栞)に「柿の沢入六十二軒」と伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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