柳生新陰流(読み)ヤギュウシンカゲリュウ

デジタル大辞泉 「柳生新陰流」の意味・読み・例文・類語

やぎゅう‐しんかげりゅう〔やぎふシンかげリウ〕【生新陰流】

柳生流

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デジタル大辞泉プラス 「柳生新陰流」の解説

柳生新陰流

剣術流派のひとつ。永禄年間に、大和国出身の柳生但馬守宗厳(やぎゅうたじまのかみむねよし)が、新陰流開祖・上泉(かみいずみ)伊勢守信綱から印可を得て創始。素手で相手の刀を奪い取って制圧する“無刀取り”の技が有名。江戸尾張の2家に継承され、江戸柳生家は将軍家の剣道指南役として栄えた。「柳生流」とも。

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世界大百科事典(旧版)内の柳生新陰流の言及

【陰流】より

…〈陰〉の意味については,陰は心であるとか,かくすであるとか諸説あるが,外に現れない心の状態といったところであろう。陰流は上泉秀綱により新陰流として体系を確立し,柳生石舟斎(宗矩の父)に伝わり柳生新陰流として大成された。【中林 信二】。…

【柳生宗矩】より

…大和国(奈良県)柳生庄に生まれる。父石舟斎は上泉伊勢守から新陰流の印可を伝授され,柳生に引きこもり柳生新陰流兵法のくふうと完成に精進した(柳生流)。徳川家康の招きを老齢のゆえをもって辞した石舟斎は,五男宗矩を幕下に勧めた。…

【柳生流】より

…江戸時代に栄えた剣術の流派。柳生流は俗称で,柳生新陰流という。新陰流の祖上泉伊勢守秀綱(上泉秀綱)から印可をうけた柳生石舟斎宗厳(むねよし)(1527‐1606)が流祖といえる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」