松浦霞沼(読み)まつうら・かしょう

朝日日本歴史人物事典 「松浦霞沼」の解説

松浦霞沼

没年享保13.9.1(1728.10.3)
生年:延宝4(1676)
江戸中期対馬府中藩儒者通称儀右衛門。諱 は允任,字は禎卿。霞沼は号。播磨国(兵庫県)の生まれ。父守興は姫路藩松平家に仕えていたが,のち浪人。母は国学者契沖の妹。幼くして南部草寿から学才を激賞され,13歳で対馬府中藩に召し抱えられた。木下順庵門下に学んで詩文に才能を発揮し,木門十哲のひとりに数えられた。のち藩の儒者となり禄200石を受ける。同じ木門から府中藩に招聘された雨森芳洲とは特に親しかった。編著朝鮮通交大紀』(1725)は,中世から享保1(1716)年に至る対馬と朝鮮との関係を記述した書で,ことに文禄・慶長の役以降の部分は史料的価値が高い。

(鶴田啓)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松浦霞沼」の解説

松浦霞沼 まつうら-かしょう

1676-1728 江戸時代前期-中期の儒者。
延宝4年生まれ。木下順庵(じゅんあん)にまなぶ。同門の雨森芳洲の推薦で対馬(つしま)(長崎県)府中藩につかえた。芳洲とともに朝鮮通信使応接にあたり,「朝鮮通交大紀」をあらわす。享保(きょうほう)13年9月1日死去。53歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。名は儀,允任(まさただ)。字(あざな)は禎卿。通称は儀右衛門。著作に「霞沼詩集」など。

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