松島浦(読み)まつしまうら

日本歴史地名大系 「松島浦」の解説

松島浦
まつしまうら

[現在地名]大瀬戸町松島内郷など

松島の入江に置かれた近世の湊津。慶安二年(一六四九)の肥前国道法帳に船路として「松島瀬戸」とみえ、長崎湊面高おもだか(現西海町)方面と結ばれていた。「大村郷村記」には浦湊として松島浦・西泊にしどまり浦・うち浦・あこふか浦などが記される。松島浦はかまの浦ともよばれ、寛永九年(一六三二)細川忠利が豊前小倉こくら(現福岡県北九州市小倉北区など)から肥後熊本への国替のとき水主らにこの浦を見立てさせ、のち移住させたという。横二町二六間・入二町五四間、深さ六―一〇尋ほどで、船繋ぎは西風・南風に都合がよく、大船七〇艘が係留でき、諸国の商船数十艘が絶えず来航する領内第一の繁盛の浦湊であるという。浦竈一六〇軒で、水主屋敷五反七畝余、大坂登りの水主は八、九人と定められていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報