東西九条女御田(読み)とうざいくじようによごでん

日本歴史地名大系 「東西九条女御田」の解説

東西九条女御田
とうざいくじようによごでん

朱雀大路すざくおおじ鳥羽作道とばつくりみちを中心に、九条以南紀伊郡一帯にかけて散在分布した荘園真幡木まはたき(現南区・伏見区)拝師はいし庄その他の諸荘園・所領と複雑に入組んで散在し、かつ周辺の九条・鳥羽竹田(現伏見区)農民によって耕営された。「女御田」の意味は未詳である。

建長四年(一二五二)二月二〇日関東御教書案(東寺百合文書、以下個別文書名のみ記す)がこの荘園を記す早い例とされる。

<資料は省略されています>

この時大弐法印に祈祷の恩賞として宛行われ、以後本覚院門跡ほんかくいんもんぜき領として伝領される。

南北朝期に至ると、同門跡執事日野僧正が給恩として宛行われたが、配流されたため闕所地となり、幕府政所の管領する御料所とされた(嘉吉元年一一月の東寺雑掌重訴状案)。しかし観応二年(一三五一)六月一八日には再び日野僧正に祈祷料所として与えられ(足利直義御教書案)、文和三年(一三五四)三月二二日には重ねて日野僧正知行が確認され(足利義詮御判御教書案)、「可令早領知山城国日吉田事、右為同国女御田替所宛行也」(九月六日足利義詮下文案)と、それまで女御田に関与していた幕府近習衆に対して替所として日吉田が宛行われている。こうして再び本覚院門跡領に復活した。しかし再び幕府政所料所に戻され、康安元年(一三六一)九月、足利義詮は当年分の年貢を東寺の修造料として沙汰し(九月一六日足利義詮御判御教書案)、ここに東寺のかかわりが始まる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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