東苑跡(読み)とうえんあと

日本歴史地名大系 「東苑跡」の解説

東苑跡
とうえんあと

[現在地名]那覇市首里崎山町四丁目

首里城跡の南南東、首里台地の南端部分に位置した旧王家の別邸。御茶屋うちやや御殿ともいった。尚貞王九年(一六七七)造営で、伊舎堂親方守浄が普請奉行に任じられ四月着工、五月には竣工している(南島風土記)詩歌管弦の宴が催され、国王が遊覧し、冊封使などが歓待された。康熙二二年(一六八三)に渡来した冊封正使汪楫の「使琉球雑録」に「崎山は継世門の東に在り(中略)是れ壇と為す。壇側に新に茶亭を建て、国王游観の所と為す。屋三楹、軒窓洞開了し、塵翳無し。壁に箋有りて曰く、粗茶淡飯飽即休と。王、都通事蔡某に命じ書する所なり。亭の東に培土して小山を為り、石盆を架し、金魚百数を畜う。陶瓦もて小竜を為り、機を発して水を引き、竜口より噴出せしむ。週廻して竭きず。亭の西は花樹を雑植す(中略)国王、臣楫に乞い、其の門に榜して東苑と曰う(中略)是れ中山第一の勝境なり」とみえ、尚貞王の求めにより汪楫が東苑と名付けた。

首里古地図には崎山さちやま村の南端に「御茶屋」と記され、敷地の北と西は石垣で囲まれ、西側の道に面して門が設置されている。内部には北側の石垣近くに南面する建物が一棟、門と相対する建物が三棟確認でき、敷地の西半分には空間が広がる。三棟の建物の後背には築山らしきものがあり、その東側にはさらに二棟の建物がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報