日本歴史地名大系 「東梅津村」の解説
東梅津村
ひがしうめづむら
[現在地名]右京区梅津〈石灘 町・上田 町・構口 町・北浦 町・北川 町・北広 町・北町 ・後藤 町・坂本 町・神田 町・高畝 町・段町 ・堤上 町・堤下 町・徳丸 町・中村 町・西浦 町・林口 町・東構口 町・開 キ町・南町 ・南上田 町・南広 町〉
東は
江戸時代初頭、梅津は東西両村に分れたと思われる。元禄二年(一六八九)刊「京羽二重織留」によれば、東梅津村は東西一四町、南北六町一五間、戸数一〇軒が「梅宮役人の家」、七軒が草庵惣堂であった。享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳による村高は一千二五九石二斗余で、日野家領二一九石余、広橋家領一九〇石余、勧修寺家領二六八石余、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報