東川原村(読み)ひがしかわばらむら

日本歴史地名大系 「東川原村」の解説

東川原村
ひがしかわばらむら

[現在地名]粉河町東川原

名手なて川東岸に位置し、北と東は切畑きりはた(現那賀町)、南は野上のがみ村、西は名手川を挟んで西川原村に接する。「続風土記」は「粉河荘西河原村と名手川を隔てゝ東西相対し、其間四町許、名手川の側にあるを以て東川原の名あり、旧は西川原よりの出村といふ」という。「東河原」とも記す。高野山領名手庄が立荘された時の嘉承二年(一一〇七)一月二五日付の官宣旨案(又続宝簡集)の名手庄四至に「限西無水河」とあり、これは水無みなせ(現名手川)の誤記と思われるので、その東側にある当地は同庄に含まれていたことがわかる。

東川原村
ひがしがわらむら

[現在地名]岡山市東川原

竹田たけだ村の南にあり、東はさい村、西は西川原村、南ははま村など。東方上道郡との郡境の村。寛文年中(一六六一―七三)村の東側に百間ひやつけん川が設けられた。枝村に砂山がある。東河原村とも記した。寛永備前国絵図に村名がみえ、高三五九石余。「備陽記」によると田畑三二町二反余、家数五三・人数三七二。文化年間の「岡山藩領手鑑」では直高六二二石余、蔵入。田高三二五石余・畑高一四三石余、家数七八(本村五一・砂山二七)・人数三三一、牛二五、樋六、橋一五。

東川原村
ひがしかわらむら

[現在地名]羽黒町松尾まつお

高寺たかでら村の北、北流する黒瀬くろせ川左岸にある。東河原とも記した。元和八年(一六二二)庄内藩領となり、同年の酒井氏知行目録では高七八石余、寛永三年庄内高辻帳では高九二石余。弍郡詳記では高六二石余、うち畑高三石余、免三ツ三分四厘、家数七。用水中川なかがわ堰の支堰天高てんこう堰を利用した。

東川原村
ひがしかわらむら

[現在地名]新旭町新庄しんじよう

安曇あど川左岸にあり、北は北畑きたばた村、東は太田おおた村、西は新庄村。東河原とも記される。新庄町村とも称し、新庄村と一体となっていたという。寛永石高帳に高四二石余、ほかに小物成一石余とあり、膳所藩領。慶安高辻帳では東河原村とあり、田方一一石余・畑方二三石余、永荒七石余、小物成も変わらない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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