東堀越村(読み)ひがしほりこしむら

日本歴史地名大系 「東堀越村」の解説

東堀越村
ひがしほりこしむら

[現在地名]藤島町東堀越

蛸井興屋たこいこうや村の東に位置。古くは添川そえがわ村と一村であったが、永久年間(一一一三―一八)頃に分村したもので、添川村の支郷であったといわれる。陸奥国田村たむら郡堀越村(現福島県田村郡船引町)とか越後国堀越村よりの移住によって成立したともいわれる。もとは蛸井興屋村に近い字白山はくさんの地にあったが、建久年間(一一九〇―九九)に現在地に移り桔梗出ききようで村と称し、天正年中(一五七三―九二)に東堀越村と改称したと伝える(藤島町史)南西の堀越山では添川城主だった梅津中将大宝寺だいほうじ(現鶴岡市)城主武藤氏が戦ったといわれるが(筆濃余理)、大永年間(一五二一―二八)のこととみられる。堀越山には藤九郎とうくろう清水があった(羽源記)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高五二三石余。寛永元年庄内高辻帳の高七八三石余。明和二年(一七六五)頃の玉塵集(八幡文書)では田六五町五反余・畑四町三反余、取米一九八石余、毛付免二ツ三分余、家数七二・人数二八七。弍郡詳記では村・工藤村という枝村がある。

添川組に属していたが、寛永九年(一六三二)加藤忠広領になり(大泉紀年)、以後領主の変遷上中野目かみなかのめ村と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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