松田氏(読み)まつだうじ

改訂新版 世界大百科事典 「松田氏」の意味・わかりやすい解説

松田氏 (まつだうじ)

中世備前の武将家。相模国足柄上郡松田郷(現,神奈川県足柄上郡松田町)を本貫とする関東御家人で,波多野氏の庶流。承久の乱(1221)の功によって備前国伊福郷地頭職を得て来住し,しだいに勢力を張り,南北朝初頭には松田盛朝,同信重が備前守護に補せられた。やがて赤松氏が備前守護となるとその被官となり,備前守護代に任じた。松田元成は金川城を本拠山名氏と結んで自立を計って敗死したが,松田氏はその後も金川城を本拠として備前西部を抑え,三石城を本拠に備前東部に威を張った浦上氏と対抗した。1568年(永禄11)浦上氏に代わった宇喜多直家に金川城を落とされ,元成以後5代90年にわたる松田氏の覇権は挫折した。歴代深く日蓮宗に帰依しこれを保護したため,備前法華の隆盛をみたことは注目される。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松田氏の言及

【備前国】より

…のちに一時期,幕府吏僚の長井泰重(大江広元の孫,六波羅評定衆)に代わったが,鎌倉末期には守護は佐々木(加地)氏に復していた。 南北朝期には,東国出身の国人松田氏や,足利氏支族の細川氏が守護になったが,1365年(正平20∥貞治4)に松田氏に代わって播磨守護赤松則祐(そくゆう)が備前守護を兼ね,義則,満祐と子孫がその職を継いだので,国人土豪は赤松氏の被官化し,また浦上氏などの播磨の武士が流入して赤松氏の領国化した。赤松氏は福岡に守護所をおき,備前を東西に2分して浦上,松田両氏をそれぞれ守護代としたが,嘉吉の乱で没落した。…

※「松田氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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