東光寺山城跡(読み)とうこうじやまじようあと

日本歴史地名大系 「東光寺山城跡」の解説

東光寺山城跡
とうこうじやまじようあと

[現在地名]佐々町羽須和免

東光寺山(七三メートル)に築かれた中世の城館の跡。戦国期に佐々氏が用いたと推定される。永享八年(一四三六)一二月二九日の松浦一揆契諾状(来島文書)では九人の署名中に「佐々存」とある。一方、同年平戸の松浦豊久が当地に東光寺を創建し、文明年間(一四六九―八七)五男の稠を佐々拵(存か)養子として入嗣、早世すると四男の大野貞久(吉田一帯を支配)に佐々をも統治させるなど、平戸松浦氏の勢力が及んでいたことが知られるが、これに伴い相神浦あいこのうら(現佐世保市)の松浦氏との対立が深まっていったという(壺陽録)。佐々氏は永徳四年(一三八四)二月二三日の下松浦住人等一揆契諾状(山代文書)に「さゝ長門守相」がみえ、この当時も平戸松浦方であったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android